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東京高等裁判所 昭和52年(う)836号 判決

被告人 米島幸一

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人平松勇作成名義の控訴趣意書及び同補充書二通(昭和五二年八月一〇日付、同年一〇月一二日付)に記載されたとおりであるから、これらを引用する。

控訴趣意第二ないし第四点(事実誤認及び法令適用の誤りの主張)について

しかし、原判決挙示の証拠を総合すれば、同判示の罪となるべき事実(ただし、後記列車の速度の点を除く。)はこれを肯認するに十分であり、所論にかんがみ記録を精査しても、原判決に、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認ないし法令適用の誤りを見い出すことはできない。

以下所論の主な論点について説明を付加する。

一  所論はまず、本件軌道整備工事と列車の脱線転覆事故との間には因果関係がない旨主張する。

しかし、前記証拠を総合すれば、以下の事実が認められる。

1  被告人は、その勤務するユニオン土木株式会社(以下ユニオン土木という。)が昭和四七年一〇月二日、日本国有鉄道(以下国鉄という。)から請負つた、東海道本線貨物上下線の新鶴見駅・横浜駅間の約二五〇メートルの区間のコンクリート枕木更換・道床更換及びこれに付帯する工事について、工事責任者として指揮監督の業務に従事し、同四八年七月一応右工事を完成させたが、国鉄側の調査により、右工事区間内の横浜市神奈川区子安台一丁目一番七号先の滝坂踏切付近の道床の厚さが所定の数値に達していないことが判明したため、その手直しとして、同年八月二六日深夜、滝坂踏切の枕木の下に砕石を突き固めて軌道を約五〇ミリメートル高上させる工事を実施し、次いで右工事の延長として、翌二七日朝、滝坂踏切から横浜寄りの、右工事により相対的に低くなつている軌道を高上して整備する工事を行うことになつたこと、

2  被告人は、ユニオン土木の下請の関東軌道有限会社所属の作業員ら一一名を指揮監督して、同日午前九時前後ころ、列車通過の合間を縫つて右軌道整備工事にとりかかつたが、同地点の軌道は横浜方面に向つて半径八六二メートルの右カーブの曲線になつているため、規定により外軌側レールを内軌側レールより四〇ミリメートル高く敷設する(カント四〇ミリ)ことになつていた。そこで工事の手順として、まず被告人が滝坂踏切中央部から横浜駅寄り約一六・五メートルの地点の内軌側レール脇に作業員に杭を打たせて、同地点のレールを三〇ないし四〇ミリメートル高上すべく、水準器で測定したうえ杭に印をつけて、作業員をしてレールの下にジヤツキを据付けて右印の位置までレールを上げさせ、さらに同地点の外軌側レールも同様の方法で、カント四〇ミリとなるよう所定の位置までレールを上げさせ、次いで作業員高橋市太郎が滝坂踏切中央部から横浜駅寄り約一一・三五メートルの地点の両側レール下に、他の作業員をしてジヤツキを据付けさせて、レールの勾配の差がなくなるようになるまでレールを上げさせ、このようにしてレールを高上予定位置に静止させ、次いで軌道工の田村卯一、加藤円次郎、藤原徳五郎、工藤俊夫をして、タイパンパを用いてレールとともに持ち上げられた枕木の下に砕石を突き固めてレールを高上位置で固定させる作業にとりかからせたこと、

3  ところで、前記のとおり、右工事は通常ダイヤによる列車の通過の合間を縫つて行なわれるため、作業の途中で列車が作業個所を通過するという事態も予想され、その際片側レール下の砕石のみが突き固められた状態にあつたときは、左右のレールにカント以外の高低差(水準狂い)が生じ、その高低差の進行の度合い(平面性狂い)の如何によつては列車の進行に危険を及ぼす虞れがあるため、このような事態の発生を避けるには、四名で突き固め作業を行なう場合は軌道工を片側のレールに各二名宛配置して両側レールの下の砕石を同時に平行に突き固めながら作業を進行させることが不可欠の要件であつたこと、(後出の「線路保守作業標準」一八頁参照)そして、被告人も前記軌道工らが当然右の方法で突き固め作業を行なうものと予期して事前に格別の指示を与えないでいたところ、予期に反して、右軌道工らがてんでにちらばつて外軌側レール下の砕石のみの突き固め作業を始めたこと、そこで被告人は、軌道工らに内軌側にもわかれて両側のレール下の砕石を同時に突き固めるよう若干離れた地点から口頭で指示したが、被告人の右指示はタイパンパの音などにかき消されて軌道工らの耳に達せず、同人らは外軌側レール下の砕石のみの突き固め作業を継続し、また被告人も右指示のほかにはこれを是正するための格別の措置を講じなかつたこと、

4  右軌道工らが各自外軌側レール下の数本の枕木についての突き固め作業を終えた午前九時一八分ころ、望月正則運転の午前九時一〇分新鶴見駅発東静岡行き四二両編成貨物第八、三六一号列車が、時速約五八・五キロメートルで工事現場にさしかかつたため、被告人の指示により、軌道工らは作業を中止し、レールに据付けられた四個のジヤツキを下して退避したが、右突き固め作業により、外軌側レールのみが高上された状態となつていたため、作業区間の外軌側レールと内軌側レールとの間に水準狂いが生じており、その水準狂いは、工藤が突き固め作業を行なつた横浜駅寄のジヤツキ据付個所付近において最も大きく、約五〇ミリメートルに達し、またこれに伴う平面性狂いも、約一六メートルにわたり、概ね五メートル当り四四ミリメートルに達していたこと、

5  前記貨物列車は、本件工事現場を通過の際、横浜駅寄りのジヤツキ据付個所から約六メートル進行した地点で、第七、一二、一三両目の貨車の前車輪がそれぞれ浮き上つてレール上に乗り上げたため、合計六両の貨車が脱線し、うち二両が転覆して本件事故に至つたこと、

6  本件作業現場における軌道の前記平面性狂いは、それ自体前記速度で進行中の列車を脱線させる原因となるに十分な程度のものであり、他方、本件列車の速度、貨車の構造、積荷の程度等のいずれをとつてみても、それ自体において列車脱線の要因となり得るがごとき瑕疵は何ら存しなかつたこと

以上の事実が認められ、被告人の司法警察員及び検察官に対する各供述調書並びに原審公判供述、望月正則、指田文吾の司法警察員に対する各供述調書中右認定に反する部分は採用できない。

所論は、被告人が意図した軌道の高上幅が三〇ミリメートルであるから、仮りに作業員が外軌側のみの突き固めを行い、内軌側の突き固めを行わなかつたとしても、水準狂いは三〇ミリメートルであるべきであり、それが五〇ミリメートルとなつていたのは、本件作業以外の何らかの原因によるものである、との趣旨を主張する。しかしながら、関係証拠によれば、本件作業開始当時には、現場のレールは、本件作業を要する状況であつたほかには、カントの点を含めべつだんの異常はなく、列車の通過に支障はなかつたことが明らかであるから、事故当時に最大五〇ミリメートルの水準狂いが生じていたということは、ひつきよう本件工事がその原因となつたものと解するの他なく、記録ならびに全証拠を仔細に検討しても、本件工事以外の何らかの原因が介入した余地は全く認めることができない。

以上に認定判示したところによると、本件軌道整備工事により生じた軌道の水準狂い、およびそれに因る平面性狂いが本件事故の原因をなしていることは疑いの余地がなく、従つて右工事と本件事故との間に因果関係が存することは明らかであつて、所論は採用するをえない。

二  次に所論は、被告人には、本件事故の発生について予見可能性がなかつた旨主張する。

しかし、本件のような道床突き固め作業において、片側レール下の砕石の突き固めのみがなされた状態の下で列車の通過を迎えた場合には、左右レールに高低差を生じることから、列車の進行に危険を及ぼす虞れがあるため、列車通過の合間を縫つて右作業を行なう場合には、両側レールの下の砕石を同時に平行に突き固めながら作業を進めることが不可欠の要件であることは前記のとおりである。そして、原判決挙示の証拠並びに国鉄施設局作成の「線路保守作業標準」によれば本件のような道床突き固め作業においては、右の方法により作業を行うべきことが国鉄当局により明文をもつて規定されていること及び右の方法により作業を行なうべきことは、軌道工の間でも常識として周知されており、国鉄勤務期間を通じ、永年線路保守の業務に従事してきた被告人においても当然これを熟知していたこと、被告人は、本件工事にあたり、列車のダイヤを把握しており、従つて新鶴見駅を定刻に発車した本件列車が作業途中に作業現場を通過するという事態も起り得ることを承知していたことが認められる。以上の事実に加え、被告人自身捜査段階において、本件のように、片側レールの下の砕石のみの突き固めがなされた状態で列車の通過を迎えた場合には、軌道に生じる大きな水準狂いのため、危険な状態になる旨供述している(被告人の検察官に対する供述調書)ことをも考え合わせると、被告人において、本件のような方法により突き固め作業を行なえば、作業現場を通過する列車に対し、脱線等の事故を生じさせるかも知れないことを十分予見できたことは明らかであり、従つて本件事故の発生につき被告人に予見可能性があつたというべきことは疑いのないところである。

ところで所論は、被告人が意図したレールの高上幅は三〇ミリメートル以下であり、高上幅がこの程度の場合には、たとえ片側レール下の砕石のみの突き固めがなされた状態で列車が通過しても、事故発生の可能性はないので、被告人には事故発生についての予見可能性はなかつたと主張する。

しかし、被告人が意図したレールの高上幅が三〇ないし四〇ミリメートルであつたことは前記認定のとおりであり、所論は、その前提において誤つているといわなければならない。のみならず、被告人が作業員に指示してレール高上のためジヤツキを据付けさせた個所付近における左右レールの水準狂いが約五〇ミリメートルに達していたことは前記のとおりであり、従つて同地点におけるレールの高上幅もこれと同一であつたというべきところ、このように、現実のレール高上幅が被告人の意図を上回つたについては、被告人が作業員に対する指示を間違つたのか、或いは作業員のジヤツキの上げ間違いによるものなのか、その原因は明らかではないが、いずれにせよ、レールの高上幅が被告人の意図した程度であるならば、片側レール下の砕石のみの突き固めがなされた状態で列車が通過しても、事故発生の危険が全くないと認めるべき根拠に乏しく、かつ被告人においても、本件工事の指揮監督に際し、事故発生の危険性がないと考えていたわけではないことは、被告人の各捜査官調書及び原審公判供述に照らしても明らかである。その他記録を精査しても、被告人の予見可能性についての前記判断に消長を及ぼすような事情は何ら見出だすことができない。所論は失当である。

三  更に所論は、被告人が軌道工らに対し両側レールの下の砕石を同時に突き固めるよう指示したことにより、工事の指揮監督者としての義務を尽くしており、被告人に対しそれ以上の措置をとるよう要求することは、不可能を強いることにほかならないので、本件事故発生につき被告人に過失はなかつたと主張する。

しかしながら、被告人において、前記田村ら四名の軌道工が外軌道レール下の砕石のみの突き固めを始めた際に、同人らに対し、内軌道側にもわかれて両側のレール下の砕石を同時に突き固めるよう口頭で指示したものの同人らがこれに従わずに外軌側レール下の砕石のみの突き固め作業を継続したのに対し、何らそれ以上の是正措置をとらなかつたことは前記のとおりである。右のごとき作業の方法が、列車事故につながりかねない危険なものである以上、工事の指揮監督者たる被告人としては、これを是正して正規の方法による突き固め作業をなさしめ、もつて事故の発生を未然に防止すべく、可能な限りの手段を講ずべき義務のあることは、いうまでもない。右是正のための手段としては、例えば、被告人が軌道工のもとに赴き、外軌側のレールについて作業する者と内軌側のレールについて作業する者とを具体的に指示して各自の作業場所に就かせるなどの方法をとることが考えられるところ、原判決挙示の証拠によれば、前記軌道工らは、本件列車通過により退避するまでの間に、各自四、五本ないし七、八本の枕木の下の砕石突き固め作業を行なつており、その間少くとも数分の時間が経過していたことが認められるのであるから、たとえ被告人が見張員の方を注目して列車の通過をいちはやく軌道工らに知らせて安全に退避させるという役割をも相当していたとしても、右時間内に前記のごとき是正措置を講ずることは十分可能であつたといえる。しかるに、被告人は、右措置に出ることなく、軌道工らが前記のごとき危険な作業方法を継続するのを看過し、その結果右作業によつて生じた軌道の水準狂い、及びそれに因る平面性狂いのゆえに本件事故を惹起させるに至つたのであるから、本件事故発生につき被告人に過失があつたことは、明白である。所論は採用することができない。

四  なお所論は、本件列車の事故現場付近における速度についての原判決の認定には誤認がある旨主張するところ神奈川県警察本部鑑識課長作成の検査結果回答書及び森田保由の司法警察員に対する供述調書によれば、本件列車の工事現場付近における速度は、前記のとおり、時速約五八・五キロメートルであつたと認定するのが相当であり、望月正則、指田文吾の司法警察員に対する各供述調書中、これに反する部分は、前記のとおり採用できず、従つて、右列車の同地点付近における速度を時速約五三キロメートルと判示した原判決には、この点において事実誤認があるというべきことは所論のとおりであるが、右の誤認は、未だ判決に影響を及ぼすことが明らかであるとはいえない。

五  その他所論は、原判決の判示を種々論難するが、同判示は、これを通読すれば、刑法一二九条二項所定の業務上過失往来妨害罪の摘示として何ら欠けるところのないことは明らかである。

六  以上の次第で、論旨はすべて理由がない。

控訴趣意第一点(法令適用の誤りの主張)について

論旨は要するに、被告人の本件所為につき業務上過失往来妨害罪を適用した原判決は、法律の解釈適用を誤つている、というのである。

しかし、原判決挙示の証拠によれば、被告人が勤務するユニオン土木は、国鉄が施行する保線工事等についての指定業者であり、被告人は、昭和四五年三月線路工事長を最後に国鉄を停年退職してユニオン土木に入社し、国鉄の外郭団体である日本鉄道施設協会から工事指揮者の資格を受け、もつぱら、国鉄の施行する保線工事等の指揮監督の業務に携わつてきたことが認められ、かつ本件事故の際にも、被告人において右会社の業務として、国鉄の保線工事である軌道整備工事の指揮監督に従事していたことは、前記のとおりであつて、このように、交通往来の安全保持のための業務に従事する者が、刑法一二九条二項にいわゆる「其業務ニ従事スル者」に該当することは疑いがない。そして、被告人が右の業務に従事中、その業務上の過失により本件事故を惹起したのであるから、被告人の本件所為が右条項規定の業務上過失往来妨害の罪を構成することはいうまでもない。原判決の法令の適用に所論の誤りは存せず、論旨は理由がない。

よつて刑訴法三九六条により本件控訴を棄却することとして、主文のとおり判決する。

(裁判官 岡村治信 小瀬保郎 南三郎)

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